- 書名: 死刑と日常
- 作者: 辺見庸
- 出版社: 毎日新聞社
- 出版日: 2008-11-29
- 定価: ¥ 1,050
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レビュー
社会なき日本の公共なき世間(おまえはどっちだ?)
辺見庸の死刑をめぐる論考が詳しくなされているのですが、大変衝撃的だったのは、日本には社会がなく、したがって公共もなくあるのは世間だけという誠に本質を射抜いた言葉でした。考えてみれば、日本人たる私のこれまでを振り返っても、社会や社会性の面を被った世間のみが身の周りにあり、そして間違いなく私自身がその世間の一部であることに苛立ちを禁じえません。死刑制度は、私が生まれるはるか以前からこの日本に現存し、いまも維持されています。それはまさしく「命をもって償わね(償わせなけれ)ば、世間に顔向けが出来ない」という風潮、いや慣習と相成っている。換言すればDNAに組み込まれている。このことが死刑制度の是非を論ずる以前に大きく立ちはだかっていると思います。このような重大で深刻な問題に気付かせる著述であると同時に、日本人の半身性(思考・思想と現実や生活の二重性)を判断基準とした、辺見庸の「おまえはどっちだ?」という問いに直面し、慄然となります。
金と時間の無駄
死刑問題に興味があったので買ってみましたが何も得るものがありませんでした。
今まで買った死刑問題に関する本で一番くだらないと感じました。
ブログにでも書いておくべき内容でしょう。
世間論的古代寛容論
死刑と愛についての書物です。死刑という国家の行為については、
西洋史、西洋思想史を学んでいる人なら誰でも私刑やリンチを
廃止する為に行われているということを理解していると思いま
す(アラブ圏などで加害者だけでなく被害者にも!私刑が行われ
ているのはその逆といえます)。
その辿からいって国家が奪った個人の復讐権を私人に投げ返すの
ではなくかといってかといって西洋的な神の愛でもなく、翻って
イスラームやヒンズー的な寛容(加害者よりもむしろ強姦被害者こそ私刑
で殺される)でもない愛の提示といえます。合理的根拠はありませんが
面白い試みであることは確かです。ただロールズやセンあるいは
社会契約論的観点からみても分量の少なさからか、古代的アガペー
への復権とも読めないことはないでしょう。日本に於いて連合赤軍という
大量私刑事件が起こってから死刑廃止運動が盛り上がったこととあわせて
考えると阿部謹也世間論を古代レベルまで戻して考えた点で評価できなく
もないですが。
空気など読むな!主体性を持て!
死刑を罪と罰という観点から見るのではない。ただひたすら愛、それも自分にとって不都合なものへの愛を通して他者の痛みを想像すること、そこから命のかけがえのなさを見ようとする。
死刑という殺人には主体性がない、責任の所在がない。誰が殺したのかが曖昧である。それを支えているのは世間という名の日本独自の主体性のない雰囲気。それをマスコミもあおる。森達也なら一人称の主語がないというところだろう。主体性のないところに愛など不可能である。死刑はそうした主体性のない世間、つまり私たちが支えているのだ。最後に国権の発動としての死刑と戦争を関連させ、憲法9条を持つ日本のあるべき姿として死刑と戦争を永久に放棄するというところへつながっていく。この部分は僕もおぼろげに考えていたことをきれいに言葉にしてもらったようで、とても感動した。
森達也の「死刑」に比べてより抽象的だと言えるが、それだけに死刑に反対する信念の強さが感じられる。その信念(愛)は一見キリスト教的にみえなくもない。リフレインのように繰り返されるスパルタクスの問いもそれを支える。僕は最後のほうに遠藤周作の弱く無力なイエスの姿を連想した。
ただし、最後のほうに出てくるギュンター・グラスの告白をめぐる部分は異論がある。あれは西欧と日本の違いと言うより、グラスという人が突出しているのだと思う。そういう突出した人は日本にだっていたし、逆にドイツ人だからといって、最後まで恥の意識を持たずに生きた人もたくさんいると思うのだが。。。
しかし、つらい、「自分の周囲や横に並ぶ空気を確かめながら態度を決定するのではなく、『私』個人が愛情や憎悪を単独者として実現」(p.101)することが僕にできるだろうか。。。
世間に左右されない個の実践が、真の愛、死刑と通底する戦争を廃止へ導く
「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのない全ての人、愛されていない人、誰からもケアされない人のために働く」「あなたが愛していることはあなたにとって都合の良いことなのではないか」これらマザーテレサの言葉に心が張り詰め、震撼した著者は、2008年4月5日の講演草稿を大幅に修正・補充した本書の前書きを「愛と痛覚をなくした時間、それが私達の日常である」と総括しました
本書を読了し、私は難しくとも、著者が言う世間という愛のない鵺のような存在に惑わされることなく、自分の個を保ち、肉親を越えて他者の痛みを感じ良心の下に生きたい、凡人ながら少しでもそうありたいと思います
実時間にその時代を読み解ける稀有な芥川賞作家であり、気付きを与えてくれる貴重な日本人として、重い病気を抱える著者が健康になることを願って止みません。以下、印象に残る著者の言葉
「痛みを共有することができないという絶望的な孤独を抱えて私達の生はある。ならば、その孤独にうちのめされながらも、なお他の痛みを共有しようとする不可能性にこそ私は愛の射程を見出す」
「一日2ドル以下の生活を強いられる貧困層は世界人口の40% 日本では10年連続で自殺者が3万人を超え、旧ソ連圏を除いて世界最悪の数」
「都合のいいことには泣き、負いきれないことには涙も流さずにむしろ目を背けていく。それが私達の日常です」
「世間とはほぼ純粋な日本語であり、殆ど日本にしかない概念なのです。あくまで顔色を伺うべきは世間なのです。SocietyやPublicは故人の尊厳を前提しますが、世間では個人が陥没する。テレビほど露骨にいかがわしい世間の様相をあらわにしているものはない」
「告解という制度が様々な抑圧の真理を生んだ一方、いわゆる西欧的な個人の自意識、あるいは死刑廃止を宣言したEUのように堂々と人間の良心を語るような自我をつくったことも事実だと思う」
「他国民にも死刑を拡大していくのが戦争。死刑と戦争は通底すると考えざるを得ない」
