- 書名: 逆検定中国歴史教科書―中国人に教えてあげたい本当の中国史 (祥伝社黄金文庫 (Gい2-11))
- 作者: 井沢元彦
- 出版社: 祥伝社
- 出版日: 2008-02-08
- 定価: ¥ 600
- この本の詳しい情報(Amazon)はこちら
レビュー
どうも、愚痴っぽくなっちゃったね
1911年の辛亥革命以来この百年間で、革命のごく初期に一度だけしか民意を問う全国選挙(それも納税資格のある制限選挙)をやってない国家だから、中国が今日的な意味で、まともな民主主義国ではないのは確かだが、『ところが日本人は、中国国内で反日デモなどが起きると、すぐ手近にいる中国人留学生を虐めたりするような愚かなことをするんですよね。でもそうではなくて、反日感情が高まっているときにこそ、いかにして身近な中国人を日本の味方に引き入れるか、ということを考えなければいけないのです』とは、まったく井沢元彦氏の仰る通りというほかはない。
むかしは「土百姓的ニヒリズム」と表現したんだけど、今は何と言うのかな。
郷党的規律を離れると、「旅の恥じは掻き捨て」になってしまう日本人の、そして逆に戦争では捕虜になるのを禁じ自決を強いるような、内向きで党派的な国民感覚。けっきょく個人の行動を内面で支える自律的価値観の欠如なんだが、だから、日中戦争でも、オッチョコチョイな日本の軍人は、戦場の憎悪に駆られて中国の流儀に呑み込まれ、旅の恥は掻き捨ての感覚で、ずいぶん惨酷なことも仕出かしているんだよね。むろん、現(江沢民)中国政府が称えるほど実数は大げさではないにしても、しかし、火のないところに煙は立たず、やはり、ある程度、そこに『虐めたりするような愚かなこと』をした事実の裏付けがあるのは、残念だが、日本人としても認めざるを得ない。
中国人と付合うためには、腕力にものを言わせて取っ組み合うのではなく、中国人の歴史感覚や思想を包容してしまうくらいまで、ものごとの考え方で日本人も成長する必要があると感じた。もう、経済規模的にGDPで日本を追越そうというところまで来ている中国の存在は、これから、ますます大きくなるばかり。否応なく無視できないところまで来ているからねぇ。
かつてのようなドメスティックな感覚の延長上では、日本人も国際社会の変化に付いて行けなくなる。
ここいらあたりで大きく考え方を変換させなければと強く思った。
中国人と議論をする前には必読
歴史推理作家の井沢元彦が韓国系中国人の金文学氏と
ともに、中国の教育で用いられている歴史の教科書を
調べ、特に日本と関係のある歴史的出来事がどのように
書かれているか考察したもの。
以前、単行本で発刊されていたものが、今年文庫本化。
平積みされていたので、買いました。
いろんな問題がありますが、どうして議論がかみ合わないのか。
なぜ、無駄に感情的になるのか。
それを知るためには、やはりどんな教育がされているのか、
知らないといけないと思ってね。
中国の教育の基本スタンスは、
共産党がいかにすばらしいものかを伝えること。
そのための都合のいいことのみを抜粋した歴史
教育になっています。
もちろん、つじつまの合わないところは改ざんもして。
古くは、日本を戦略しようとした元寇については、
教えもせずに、日中戦争で日本軍を打ち破ったのは
共産党のおかげだと教え込みます。
元寇は、そもそも蒙古人の王朝である元だから
記述が少ないっていうのもあるかもしれませんが。
戦争の被害についても、学校の教科書だけじゃありません。
日本軍のひどさを強調し、その日本軍を打ち破って、
新中国を建設した共産党への賛美を謳う施設の数々。
ちょうど、6月に北京に行った時に、盧溝橋を訪れ、
そこにある抗日紀念館に行きました。
詳しくはまた旅行記に書こうと思っていますが、
この情報が中国の常識になっているんだったら、
歴史問題の話題になると、話はかみ合わないよなと
痛感しました。
あ、話がそれますが、チベットは最初から中国領ですからね。
清朝時代から、中国の一部として皇帝に意向を
伺いながら軍政事務を進めていたとありますから・・・。
中国だけでなく、韓国もそうですが、
民衆の歴史認識はやはりそういった教育を受けている
からこそ形成された「常識」の上に成り立っています。
中国人の発言に対して、怒りを感じる前に、
その人の受けてきた教育による常識を変えて
あげなきゃいけないんだなと改めて感じました。
おりしも、今、日本の教科書の竹島の記述で
韓国と揉めていますが、その前に、相手側の教科書って、
どうなってんだよっていう、面白い企画の本だと思います。
ちょっと、日本側の視点が右過ぎるかなと思ったりも
しましたが、そこは視点を対極に置くバランスかなと思い、
割り引いて読めば問題ないでしょう。
教科書問題に対する日本外交に対して、物申したい
こともありますが、思いっきり脱線するので、
それはまた別の機会に。

