- 書名: パレード (幻冬舎文庫)
- 作者: 吉田修一
- 出版社: 幻冬舎
- 出版日: 2004-04
- 定価: ¥ 560
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レビュー
狂っているのは、自分か?
東京のマンションで、若い男女五人が気楽な共同生活。
他人として適度な距離をたもちながら、気が向いたときは一緒に飲んだりビデオを見たり、
悩みを相談したり。
一時期、リゾートバイトなどでシェア暮らしをしていたものとしては、とても魅力的な感じ。
ドラマみたいに、やたらと他人に干渉してアツくないのも良い。
楽しかった日々を思いながら、登場人物の誰かに自分を重ね合わせて共感していた。
そしてラスト。
少し変わっているけど正常だと思っていた自分(登場人物)が
「実は狂っていた」という事実。
どんな本を読んでも、その本の中で自分が正しいと思える人物を知らず知らずに見つけているもの。
それをいきなり否定される怖さ。
山本文緒の「恋愛中毒」を読んだときのような。
自分が参加して、踊って、行進している「パレード(人生)」は、
果たして本当に正常なのだろうか?
「わかる」の怖さ
映画を先に見ていたので、第5章はどこで「来る」かばかりを気にして結果ラストの怖さは些細なものとなったけど、やはり吉田修一の作品はある意味で腑に落ちる。それは「リアル」という言葉を使えば簡単に説明できそうな手触りであっても、その「リアル」さは最後に「うそ寒さ」へ変わることで読者を裏切る。他愛のないツッコミや気遣いのある(ように思える)言葉、そしてそれぞれが抱えている悩みや不安さえも読後はぺらぺらなものに思えてしまう。「ここにいたければ笑っていればいい」から、他人の悩みはめんどくさいものとして流される。 しかし、それにもかかわらずこの5人の生活感は愛おしい。「愛おしい」ということは、「わかる」ということ。あーわかる、の「わかる」。解説で川上弘美さんも言っていたように、この小説の怖さは自在に変容する。その数ある怖さのなかでも打ち捨てておけないのは、同じ部屋に住んでいる人間の重大な行為を「めんどくさい」で片付けられてしまう人たちの気持ちや生活を「わかっ」てしまうことではないか。
吉田修一はほんとに、いそうでいなさそうで、実はいそうな人間を描くのがうまい。
最終章が残念。
若い男女が、恋愛関係なしに共同生活をしているけれど、
表面的なつきあいで、淡々としている、という、現代のフツーの人の孤独を
描いた小説かと思ったら。
最終章は何でしょう。ここで一気に特殊な人の話になってしまう。
小説としては、淡々とした内容だけでは面白みにかけ、表面的なつきあいの裏には、
こんな部分があるのだよという、衝撃的な最終章が必要だったのかもしれないけれど、
ついていけなかった。
最終章のせいで、フツーの人たちの話では
なくなってしまうのが残念だった。
共感はできない
人と人とのつながりのなかで、近すぎない関係の中で生まれる「無関心」。
同じ空間を共にし、兄弟のように接して軽口を叩いても、彼らのあいだには、心地いい無関心が流れている。
でも、そんな無関心は、実は心地いいものなんかではない。
とても、恐ろしいものだ。
登場人物の年齢層は10代〜20代。
主人公の彼らはそれぞれ闇を抱えていて、どこかしら私たちとつながる部分を抱えているようにも思える。
けれど、この小説に描かれている人物は、あまりにも軽く、薄っぺらいし、陳腐だと思う。
ゲームの設定のように現実感が無い。
少なくとも私はこの小説の登場人物のように、現実感のない、心の触れ合いのない人間関係は築けない。
全く共感できなかった。
だから、もしこの小説が現代の若者を揶揄しているなら、私は「違う」と言いたい。
こんなにも、触れ合いのない、つめたい外面だけの関係など、いらない。
読み進むのが苦痛なわけではなかったが、読後は不快だった。
ひとつのメッセージ性を持った小説であるとは思う。上手いやり方でそれを浮かび上がらせているとも思う。
けれど、陳腐な寸劇を見ているような、入り込めない現実味の無さが、私には合わない小説だった。
下手なホラー作品より、よっぽど怖いです
映画キッカケで読みました。
映画はラストが原作以上に観客に対して
丸投げされていたので、スクリーンに映る
登場人物たちの表情が、無機質で怖かったのですが、
原作も十二分に怖くて、読み終わったとき、恐怖のあまり鳥肌が立ってしまいました。
私も大学生時代に
男4人のルームシェア経験があったのですが
当時の人間模様を思い出してしまいました。似ている部分もありました。
なお現在進行形で、
ルームシェアをされている人は
相手に対して不信感を抱く可能性が
ありますので読まないほうがイイかもしれません。
それほどまでにリアリティに溢れている証拠、褒め言葉ですよ(笑顔)
