夜と女と毛沢東 (光文社文庫)

レビュー

人間性の深みを理解した上で思考・判断する大切さ

三島由紀夫誕生前年の1924年生まれの詩人・思想家の吉本隆明氏と芥川賞作家の辺見庸氏との4度の対談集(1995年〜97年)です。吉本氏の懐の深い思想、衒いのない語り口に魅かれ、大局的に物事を見て、思考し、判断する姿勢が自分の事物への処し方に対して大変勉強になりました。

同時に、オウム事件を狂信的宗教家が起こした事件として、自らと距離を置いて整理・放逐してしまう日本社会・マスメディアの風潮は自分も含めたこの国の第2次大戦後の病理であると気づかされました。

今日の朝日新聞の声欄で高校生が87歳の祖父の告別式で祖父の青春時代が戦争中だと知り、帰結として反戦を訴えていました。私の亡祖父はシベリアで2年間程抑留されていたそうですが、もし戦争で祖父が中国の方を殺めていれば、合法とは言え、私は殺人者の孫足り得ます。心を澄まして今一度冷静に考えてみれば、これはとても恐ろしい現実です。

言い換えれば、我々は一歩間違えば、何らかの複数の条件が整えば、戦争に従事する(巻き込まれる)ことになり、オウム事件の当事者側に立っていたかも知れない。大切なことはそういう立場から戦争・事件の意味を熟考し、2度とそのような惨劇・悲劇が起こらないよう、自らと世の中に働きかけていくこと、フロイト流に言えば悪をも含有する人間性を他人のものとして放棄せず、主体的に関わり行動することだと本書が強く気づかせくれました。

ぜひ多くの日本人、特に私より若い10代、20代の方に読んで頂き、戦争、オウム事件、日本・世界のこれからのことを自ら主体的に考えるきっかけにしてもらいたい本です。





落語のような心地よさと内容のなさ

ムード歌謡みたいな味わい深いタイトルを持つ、吉本隆明と辺見庸の対談集です。内容に深みは全くありません。それなりにユニークな切り口で提示される独自の視点は、思想的な拡がりをもつことなく与太話に終始してしまいます。それでも読んでいて落語のように心地よく読めるのは、辺見の作家としての力量が語りの中にも独特のリズムを構築しているからでしょう。最後の部分で「消費資本主義」に対抗するために、アフリカと山谷が提示されますが、これはある種の「差別主義」なのではないかと思います。人間社会の「原型」をアフリカに求める吉本に対し、辺見が激しく反発します。吉本の「原型」への確信が、通俗的な「エコロジー」などとどう違うのか、明確にしたい辺見とそれを説明したい吉本ですが、いつまでたってもその差異がクリアーになることはありません。ただ二人が「消費資本主義」に対する違和感を共有しているのは確かで、それがポストモダンに対するモダンの違和感と重なる様が、ある種の世代論として興味深く読める部分でもあります。何かを「勉強」出来る本ではありませんが、読んで損したという気持ちにならず、それなりに充実した読後感が残る不思議な本です。