- 書名: 義経はここにいる (徳間文庫)
- 作者: 井沢元彦
- 出版社: 徳間書店
- 出版日: 2005-04
- 定価: ¥ 800
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レビュー
頼朝の心中を思うとうすら寒い
十代のころ、高木彬光の「成吉思汗の秘密」を読んで胸おどらせていた私は、当然「義経」のその後に大いに関心があった。
これは小説であるが、怨霊史観で鳴らすわが井沢先生の、「義経のその後」に対する回答となる作品である。いつものようにキザで嫌味なインテリ主人公がウルサイ感じがするというのは置いといて、その「回答」についてのみ味わうのが正しいだろう。
義経は衣川の館で死んだのか死んでいないのか、ここのところは非常に興味深い。個人的には「影武者」というか側近が自害してみせた、というのもアリのように思うが、それでも逃避行中に野垂れ死にしたとしたら、衣川で死んだのとあまり変わりはないことになる。
井沢は、どこでどう死んだかということより、「平泉の戦いで滅ぼされた」という事実を重要視する。
そして、「滅ぼされた」ことは「正史」にも載っているが、怨霊史観的には、一字金輪仏の存在により確定される、と新たな説を出してきた。攻め滅ぼした相手でないのなら、怨霊封じのために祀る必要などないからだ、という逆説である。
これには、「一字金輪仏が頼朝の意向により作成された」ことと、「一字金輪仏が義経を表すものである」ことと、「頼朝は一字金輪仏により義経の怨霊封じをしたことを隠そうとした」の3点の立証が必要となる。
このうち「頼朝の意向」が絡む事項については立証が困難であり、著者も具体的な証拠を挙げることはできないから、「頼朝の暗黙の了解なくしては成立しない」というこれまた逆説でまとめるしかなかったようだ。
藤原泰衡の首桶については北条方子の「夢」からヒントを得て解き明かした著者であるから、「頼朝の思惑」についても、ぜひともなんらかの傍証が欲しかったところだが。
それにしても一字金輪仏。兄頼朝は、こんなもので弟の恨みを封じることができると思ったのか、それとも何もしないよりマシと思ったのか。頼朝の心中を思うと、うすら寒い風を感じる。
慧眼とはこういうことをいうのだ
俗伝、巷間、源義経の墓と称される場所は幾つかありますが、いずれも伝承の域を出ません。
という訳で、本作ですが、勿論、本作で語られる根拠も、当然ながら、作者である井沢元彦氏の推論でしかない訳ですが、これが案外、説得力があり、学者さんや中尊寺関係者の方が書かれた書籍より、はるかにスッキリと納得のいくものがあります。
義経の墓がどこなのか、という以上に在りし日の平泉中尊寺の堂塔伽藍の配置や、金色堂ってそもそもなんの為に建立されたの?〜奥州藤原氏が泰衡の代で滅びていなかったら、それ以降の当主はどうするつもりだったのさ?〜という判ってそうで判っていない部分にまで推理を展開しておりますので、推理小説というよりは、作者お得意の歴史ノンフィクションとしても充分堪能できます。
