- 書名: ふいに吹く風 (文春文庫)
- 作者: 南木佳士
- 出版社: 文藝春秋
- 出版日: 1996-02
- 定価: ¥ 500
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レビュー
小説以前と小説以後
南木さんの、エッセイ集である。エッセイとは、短い文章のことだ。雑文のようなものでもエッセイと呼ばれる。南木さんの、この芥川受賞前後の文章たちは、エッセイと呼んでよいものか。むしろ、小説以前や、小説以後の文章たちに見える。
南木さんの小説の、原石たちが、ここにはある。小説になる以前の、風景のままが書き出されている。これが、あの小説になったとわかる。これらは、小説よりもなめらかだ。すうっと入って、すうっと出て行く。後に残らない。南木さんの中には、残った。引っかかった。彼の小説づくりは、僕たちの中にも引っかかるものにするために、木彫を彫るように荒く削りを入れていくことなのだな、と分かる。
小説より以後の、結晶の様なものも、ある。エッセンスだけが蒸留されて残された、小説の核だったもの。あれはそういうことだったのか、と、心の中にひっかかっていた、南木さんの小説が、のどの小骨がとれるように腑に落ちる。
大変に、面白く読めてしまう。そして、納得できる。そこが、引っかかる。帯に短したすきに長しで、どうにももどかしくなる。
小説以前のものは、残らない。通り過ぎてしまう。小説以後のものは、せっかく引っかかっていたものを、流しさってしまう。この文章たちを書いている南木さんの姿勢は、小説と同じく、ものごとに結論を出すという選択を選ばず、そのままに体に留める、というものだ。でも、「エッセイ」という形式が、それを許さない。
南木さんは、エッセイを書きたくなかったのではないか。受賞後、エッセイの依頼が増えて、その二割程度にしか応えられなかった、とあとがきにある。それでもこれだけの量がある。需要があるのだろう。僕ら読者が、エッセイを欲しがってしまう。
それは、とりあえず、その作家について、納得して、結論づけたいからだ、と思う。僕も、気になった作家の文章を、なんでも血眼になって探すことがある。エッセイは、そんな読者には格好の形式なのだろう。でも、それは、南木さんの根っこに反する。「難民キャンプの寸劇」という、3ページばかりの文章が入っている。僕がここで紹介すると、何も残らないので書かないけれど、これは、エッセイを欲しがる僕に、ぐさりとささった。

