断崖の年 (中公文庫)

レビュー

さすがに作家さん。

日野先生が悪性腫瘍の摘出手術を受けた時の経験を元に書かれた本。モルヒネ系鎮痛剤による幻覚の描写は、読むのが怖くて何度も本を閉じた。それを冷静に書きつづるのは、さすがに作家さんだと思った。「人間の意識というものはもともと見たいものが見える機構のことなのだ」と幻覚に悩まされながらも思う著者の言葉には説得力がある。

病気による意識の変化

アフリカに行くために気楽に健康診断をしたことがきっかけで、腎臓に腫瘍を発見してしまった日野氏の、一年半に渡る意識の揺らめきを示した作品。

日野氏といえば、先駆的な「都市幻想小説」や「都市エッセイ」に表わされる、無機物なものへの偏愛が顕著な作家である印象が深いですが、入院を通してその意識に変容が齎されていることがわかります。古い意味での自然の恩恵に救いを求め、他者に対する優しさの大切さを氏は実感し、それまで書を読むことを通じて考察してきた生死の問題が、実際に自らの身の上のことになると、無効になるということも述べています。都市の無機質さに関しても、『東京タワーが救いだった』でも、『牧師館』のラストでも、『屋上の影たち』も、幾分肯定的ではありますが、『牧師館』で見られる薄暗い山奥に生きる人の伝統的な生き方の肯定や、『空海の裂け目』で「東京自体をこの三年ほどの間に急速に好きでなくなってもきている。」と書かれているように、これまでのように全的な東京至上主義ではなくなってきています。

とにもかくにも、収録される五篇はどれも素晴らしく、まさに断崖からの光景、現実が剥ぎ取られた本当の現実の光景が浮き上がっています。重い病気に侵され幻影を見ながらも、「闘病記」とは程遠い、クールな意識と文体を保つことはすごいと思います。この入院を通しての日野氏の精神の集大成となったのが、まさに最後の長編『天池』なのでしょう。ずっと東京を中心に作品を書いてきた氏が、死の間際になって旧来的な自然を舞台にした長編を書いたということには、深い意味を感じます。

現実と幻想の間を彷徨うガン手術体験記

æ-¥é‡Žå•"三氏が自らのガン手è¡"ã‚'通ã-て感じ、見たã"とã‚'ä½"é¨"記/小説の混ã-ったオムニバス形式でつづった作å"ã€‚

幻想的なæ-‡ä½"で、認識の主ä½"たる自己と、客ä½"である自然/人工物とのé-¢ä¿‚ã‚'考察するæ-¥é‡Žæ°ã§ã™ãŒã€ã"のガン手è¡"のä½"é¨"は、その後の氏の考えæ-¹ã«å¤§ããªå¤‰åŒ-ã‚'もたらã-たと思われます。つまり氏のè¦-点が、確固とã-た自意識がç§'学/自然ã‚'見つめる、という単眼的なものから、認識の主客の交流ã‚'双æ-¹å'から考察する、という複眼的なものに変わったわã'ですが、その分岐点がã"の作å"ã ã£ãŸã¨è€ƒãˆã‚‰ã‚Œã¾ã™ã€‚

é-˜ç-...中でä½"力がない中書かれた作å"é›†ã§ã‚るため、ä»-の作å"ã«æ¯"べて切れå'³ãŒéˆã„印象は否めませã‚"が、氏のその後の作å"ã®æ-¹å'性ã‚'æš-示ã-ている、という意å'³ã§ã¯é‡è¦ãªä½œå"ã§ã™ã€‚意識の源泉にæ!·±!!く深く迫っていく氏の筆è‡'は、幻想的で刺激的です。

好きなんです、たぶん。

以前著者の小編を読んだことがありました。陰惨な状況を背景にしているのに、ストーリー自体はお天気雨みたいに、期待感をはらんでいて軽やかだった。語り口は映像的、でいて描写は無機質でドライ。モノクロの記録映画のよう。物足りないというよりは自分にとってすごく「異質」であることが面白くもありました。 断崖といえば一番身近なのはビルの屋上です。こういう体験をエッセイとして語ってくれてほっとしました。ドライな語り口は相変わらずですが、がけっぷちに立つ自分をじっくり見つめるというそのことに温もりが感じられて。同じ体験を一人称と三人称で書き分けた部分もあって、どちらがしっくりくるか、分かれるところかもしれません。