- 書名: 長崎乱楽坂 (新潮文庫)
- 作者: 吉田修一
- 出版社: 新潮社
- 出版日: 2006-12
- 定価: ¥ 420
- この本の詳しい情報(Amazon)はこちら
レビュー
この兄弟に「救い」はあるのか?
昭和の長崎を舞台に、いわゆる「やくざ」な世界に生きる男たち、女たち、そしてそんな世界のなかに生まれてしまった兄弟の生き様が描かれていきます。
兄弟にとっては、三村家の中だけが世界のすべてであり、この世界の中だけのルールに縛られ、何かに導かれるように人生を歩んでいきます。
兄は、定められた世界から逃げ出そうと、ずっともがき続けるのですが、結局最後まで逃れることができません。
圧巻はラストの章へ繋がる流れで、これまで脇役であった弟の目線で、三村家の世界の崩壊を残酷に見せていきます。
この展開が凄い!
物語に余韻を生み、よりドラマティックにし、鳥肌ものの疾走感を生んでいます。
登場する人物には、リアリティというか、生々しさがあって
情景の描写なんかも、想像力をかき立てられるものばかりです。
ホント達者な作家さんだなあーと思います。
ラストをどう読むか? 救いがない、と読むこともできるのかもしれませんが、
人間の儚さがこれでもかと表れていて、
筆者の人間を見るある種の「温かさ」を私は感じました。
皆さんは、どう感じられるのでしょうか?
途中でやめないほうがいいです
任侠ものはどうも肌に合わないし血縁関係がややこしいと思って読み進めていました。この小説の面白さは後半にあります。まず、駿が東京に出ようとするところですが章が変わるとぶち切れます。そして、最後の一章だけ主人公が変わります。この後半の2章によってこの小説が平坦で安易なものでなく、その余韻を長く持ち続けられるものに昇華しているように思います。
時代の移ろい、少年は何を見たか。
長崎乱楽坂にある三村家というひとつの家を舞台に、駿という少年の生き方、時代の流れを描いた作品。
三村の家に出入りするやくざものの男たちの背中を見ながら駿は成長してゆく。
価値観の固定された大人のひとつひとつの言動に駿の心は揺れ動く。
子供が大人の世界を垣間みる、触れる時の心情や仕草がとてもうまく表現されている。
その中で、駿の成長とともに変化してゆく母屋とは異なる、
時代の流れを刻印してゆく離れが象徴的に描かれている。
ラストの情景描写で余韻の残る感動というか、儚さみたいなものを感じました。
人生の選択、時代の潮流のうねりを感じた人の生き方、時代の移ろい、
その描き方がうまいなあと。
個人的には「最後の息子」「パーク・ライフ」よりも好きです。
物語がとりまくひとつの空気みたいなものを
吉田修一氏はとても繊細に描いていると思いました。
不思議な作家
いかにも『昭和』の匂いのする小説だった。
本当に吉田修一の作品は読みにくいというか
合わないというか、
いや、嫌いというわけではないが、
肌にこうしっくり来ない、そんな作家である。
なのに何故か次の作品を求めてしまうから不思議だ。
この作品は任侠の世界に産まれた兄弟の話だが、
ほとんどを兄の視点から描いている。
兄は自分のいる場所が本当に自分のいるべき場所なのか、
幼いころから考え、
今の場所から逃げ出そうとするが、結局はその場から出て行くことは出来ず、
最後までその家に留まることになる。
反対に任侠の世界を肌に感じることのなかった弟が家を出て東京に行ってしまう。
最後には残された兄と母親は家の昔の面影を胸に抱いたまま同じ家で二人過ごすことを選ぶ。
何故兄は東京に出なかったのか。
そして亡き叔父が住まいとしていた離れで叔父と同じように絵を描いていたのか、
疑問は残る。
6章あるが、時間が飛び飛びで描かれているので
そこまでに至る経緯が良く分からないのが惜しい、といえば惜しいが、そこに別の余韻も生まれてくる。
少年の成長譚、そしていまは亡き家の物語
吉田修一が長崎出身であるということ以外、その足跡はほとんど知らないのだが、この作品は自伝的ニュアンスの濃い作品である。もしそうでないとしたら“自伝風”を仮想した小説だ。六章から成り立つが五章までが兄の駿の視点から、最終章だけが弟の悠太の視点から書かれている。実際の作者が兄・駿なのか弟・悠太なのかは知る由もない。
父は事故死し、幼い兄弟は母の実家で暮らしている。母の兄、つまり伯父はヤクザであり、家には年老いた爺さん婆さんや伯母のほか、伯父が拾ってきた女や若い衆たちが一緒に暮らしている。兄弟の幼少時、ヤクザ稼業は羽振りがよく毎日が酒盛りである。プライバシーなどまるでない家の中で“離れ”だけが唯一の聖域だ。ここは母と若頭の秘め事の場であり、自殺した母の弟、つまり叔父の幽霊と、駿の交感の場でもある。
やがてヤクザ稼業は傾き、人は離散し、家は解体するが“離れ”の空間だけは最後まで残っている。高校を退学し都会に出るつもりだった兄の駿は最後の最後でなぜか踏みとどまり、叔父の幽霊が住む“離れ”と共に家に呪縛されるのである。
この小説は“家”という動的な場と、そこに内包される静的な“離れ”という空間を基軸とする物語である。最近では他人が家に居るということがめったにないし、年代の違う者同士の交流の機会もないが、この小説の主人公である少年・駿は、年上の他人や従姉妹に、大人としての役目を割り振られながら少年から大人に成長していく。性的な体験にも年上の他人や従姉妹が介在している。
父親の居ない欠落感や、前近代的な家の物語の中での疎外感は、吉田修一の小説の、一筋縄ではいかない感じ、ざわざわとしたノイズ感、小骨が引っかかったような読後感に、どこかで影響していると思う。
また、この人の描写や表現が類型的でなく、かなり独特なものであることを今回読んで見てあらためて感じた。
