- 書名: 新編 風の又三郎 (新潮文庫)
- 作者: 宮沢賢治
- 出版社: 新潮社
- 出版日: 1989-02
- 定価: ¥ 460
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レビュー
風の精
小学校時代に読んだ。
最後まで「風の又三郎は 風の精でした」という一言がなくて
もどかしい思いをした事を憶えている。どう考えても 風の精のはずなのだが。宮沢賢治も意地悪だ。当時はそんなことしか思わなかった。
それから30年経った今考えるとどうかとさっきから考えている。
他のレビュアーの方も仰っているが 宮沢賢治の「力」は その独特
の「日本語」にある。実際 賢治の言葉は 言霊ともいうべき魔力に
満ちている。こんな独特な日本語は他ではお目にかかれない。
賢治の資質は 基本的には詩人であるというのが小生の独断である。
そんな詩人が書いた童話は 散文詩と言ってよい。風の又三郎も
そんな詩人のマスターピースの一つである。それも比類の無い。
風の精だったのだろうか。未だ 迷っている。後20年くらい経ったら そうしてその時生きていたら また 考えてみたい。
又三郎と子供たちの心温まる童話
どこから来たのか、朝の教室に見知らない赤髪の子供が座っていた。やがて教室に風が吹いてきた時、「ああわかったあいつは風の又三郎だぞ」と誰かが言うと,他の子供たちもそう思うようにもなった。先生はその子が転校生高田三郎だと紹介してくれた。
又三郎はひらっと空に飛び上がって、ガラスのマントを光らせながら空を飛ぶ。不思議なこともいろいろあって、友だちといたずらもしながら時を過ごす。又三郎と耕助が喧嘩の後、仲直りする場面は微笑ましく感動的である。川でみんなで泳いでいる時、雷が鳴り、夕立がやって来て、誰ともなく「雨はざっこざっこ雨三郎 風はどっこどっこ又三郎」と叫び合うと、又三郎が聞きつけてやって来る。
「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも、吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」
ある朝、担任の先生に「高田三郎さんは昨日お父さんといっしょにもう外へ行きました」と伝えられるが、子どもたちはそうではない、「やっぱりあいつは風の又三郎だったな」と思う。
「風の三郎様」は風童神として現在も岩手・新潟などで祭礼がある。「又」の字を加えたのは賢治の創作。東北方言その他で「マタ」には妖怪の意があるという設定の名残りである(雅)
