- 書名: 山椒大夫・高瀬舟 新潮文庫
- 作者: 森鴎外
- 出版社: 新潮社
- 出版日: 2006-06
- 定価: ¥ 500
- この本の詳しい情報(Amazon)はこちら
レビュー
大名作だが
何十回も読み直した本である。特に山椒大夫。日本人の琴線にふれる、なにか言い難い深い闇のようなものを感じる。しかし、である。これだけでは足りないのだ。何が足りないか。極端な例を持ち出して本当に申し訳ないが、現代の日本で苦しみのあまり電車に飛び込もうかと考える人がいたとして、その人にはこの本の世界観は助けにならない気がする。諦念ということは成熟のために本当に大事だ。しかし諦念だけでは生きていくことはできない。
夜会のモチーフ
安寿と厨子王として、
絵本でもある。
母子が別れ、
子どもは人買いに売られ、
奴隷のような扱いを受ける。
逃げる計画を知られ、
額に十字の焼印を押される。
このようなエピーソードは、
なんとなくでは知っていたが、
小説として読んだのは初めて。
中島みゆきの夜会「元祖・今晩屋」の
モチーフとなったというので、読んでみた。
今回の夜会の内容を理解しようとすると、
難しい。
この「山椒大夫」を読んでいったとしても、
難しい。
ある人は、今回の夜会は「理解」や「解釈」するものではなく、
「感じる」ものである、という。
確かにそうだなと思うが、やっぱり理解したいものです。
「山椒大夫」に書かれていない背景を知ると、
もっと理解できるのかもしれません。
「人のありよう」を問いかけてくる一篇
人が共に生きていくためには共通のルールに従って生きていく必要がある。
共通のルールに従えない者は、法に則って裁かれることになる。
神の力を持ってるはずもない、しょせん有限の能力しか持ち得ない人が作り上げた法によって、
同類である人を杓子定規に裁くことの限界を本作は描いているのだと思う。
ルールを無視するわけにはいかないが、しかし、そのルールに従うことに納得のいかない点がある時どうすればいいのか?
人が人らしく生きるということは、いったいどういうことなのか?
人の在るべき姿を定義するのに、同類である人が作ったルールに従うことだけが本当に正しいことなのか?
我々、人では量り知れないもっと高次の解答があるのではないか?
さまざまな葛藤を引き起こされ、単純に答えを導けないことに気づかされる。
そして、「人のありよう」について、死ぬまで一生考えていかなければならないということに気づかされる。
おもしろい
幾つかの短編からなる。
私のお気に入りは「妄想」と表題の「山椒大夫」「高瀬舟」。「二人の友」もいいんだよなー。
「妄想」は、自身を回顧した作品。「宴会嫌いで世に謂う道楽とうものがな」い自分。そして、数千巻持っていた雑誌を学校に寄付する。「多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。」
かっこいいー。
「山椒大夫」は、父親を追って、旅に出た母子たちが、人買いによってさらわれてしまう。弟厨子王を助けるために姉安寿がとった行動。(個人的には鈴木杏樹を想像してしまった(笑))そして、結末は・・・ 感動名作です。
「高瀬舟」は、罪人を護送する舟。この舟に乗っている弟殺しの罪人喜助の顔がなぜか晴れやかで楽しそう。疑問に思った同心羽田庄兵衛が問い詰めると・・・
安楽死についての作品であるが、しみじみと淡々と書かれているのが印象的。
表題の2作品だけでも、読む価値が十分にある。
妄想というリアル
森鴎外の短編十一作品を収録。まだ全作品読了していませんが、読了中のうち特に『妄想』に感銘を受けたのでレビューします。
『妄想』は、タイトルによる先入観とは裏腹に、鴎外の本心と、云われも無い現実のニヒリズムが感ぜられます。鴎外というと非常に冷徹な人だと誤解をしていましたが、本作中で、独逸留学中の鴎外の苦悩の裡に、家族を想う気持ちが伝わってき、知で固められた鋼鉄な表皮の奥には温かな俗情を保持しているということが分かりました。日の要求に駆られ、演技者として彼方此方から糸で引っ張られるように生きていくことに、私も虚無を覚えるタイプで、どうしても物事を闇雲に考えてしまいます。どうすれば人と同じようにもっとすんなり生きていけるかなあ、といつも悩みます(これと同じ問題は『カズイスチカ』で花房が見る父の翁の描写でも書かれていますね)。鴎外は哲学、特にハルトマンやショーペンハウエルの影響を受け、死に憧れもせず、死を恐れもせず、人生を下っていくというニヒリズムに到りますが、これも非常に今の私の心境と重なるところがあり共感しました。
『普請中』も、渡辺参事官と元恋人の高級ホテルでの再会のエレガントな香りと、それに相反する大工の描写、そして「日本はまだ普請中だ」という日本に対する皮肉感が凄く良かったです。『百物語』も、「生れながらの傍観者」として、「子供に交じって遊んだ初から大人になって社交場尊卑種々の集会に出て行くようになった後まで、どんなに感興の沸き立った時も、僕はその渦巻に身を投じて、心から楽しんだことがない。」という自分と、恐らく「今紀文」となり富裕になった後で「傍観者」となった飾磨屋を照応させる辺りに、深い陰影を帯びたニヒリズムというか、中野重治のいうところの、「悲しい必然」で文学へ行った人である鴎外の人となりが痛々しく理解出来ます。『高瀬舟』ばかりが有名ですが、もちろん『高瀬舟』も素晴らしいけれど、それ以上に心に染み入る作品を多く鴎外が書いているということを、本書を読むことで痛感しました。三島由紀夫が「鴎外の味」という言葉を残しているらしいですが、何だか凄く分かる気がします。好きな作品は何回も読み直したいです。
