- 書名: 逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎 (小学館文庫)
- 作者: 井沢元彦
- 出版社: 小学館
- 出版日: 1998-12
- 定価: ¥ 650
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レビュー
鉄人823号
天皇を中心とする貴族階級と国民(武士、農民他)の溝の深さで、当然問題が起きるんでしょうね。基本的に自分中心の権益にならざるを得ないから。根深い部落差別もケガレ信仰を中心とした単なる職業の差別が長い時間と共に固定されてしまう恐ろしさを感じました。
第四のキイワードが
「和」、「怨霊」、「言霊」に続きキイワードが本書で明らかになります。それが、「ケガレ」と言う概念です。著者はこの思想こそが、武士による社会を作るきっかけとなり、さらには非武装中立という意味不明な政治思想を作った原因にもなっていると喝破しています。
歴史は連綿と続いていると言われますが、1000年以上前の考え方が、現代に於いてもほとんどコンセプトを変えずに生き残っている事に驚きますが、この関連性をこのような簡単なキイワードで表現しきった著者の視点の高さに敬服します。
自衛隊、憲法問題、一般の歴史学者への辛辣な批評スタイルは、「耳タコ」状態ですが、それでもその論理的で、一貫した姿勢については共感をします。
日本史の深層がよくわかった。
中世の歴史を、言霊・怨霊にこだわって分析している。こだわりすぎの感もあるが、その分、他の書物にはない斬新な解釈が展開されており、興味深く読むことができた。右翼的な傾向があるかなと感じたが、部落差別解消に向けての提言などはもっともなことが述べられており、共感できた。
平安貴族に現代日本人を見た
「逆説シリーズ」第四作。とかく退屈で敬遠されがちな平安時代に綿密な考証を加え、数々の鋭い説を生み出している。
「六歌仙=怨霊」説は話としては面白いが、この件は謎が多過ぎて説得力に欠ける。著者は紀貫之が六歌仙を定めたと書いているが、それでは古今集の序文で貫之が六歌仙を貶している点と矛盾する。褒めないと鎮魂にはならないだろう。「刀伊の入寇」は教科書にも出て来ない話なので大変参考になった。私は井沢氏ほど言霊教を信じていないが、日本人の"平和ボケ"と"事なかれ主義"がこの時代から続いていると思うとゾッとする。普段あまり取り上げられない藤原氏"中興の祖"良房について詳細に解説してあるのも本書の価値を高めている。平将門論は既知のもの。「源氏物語=鎮魂の書」は首骨し難い。むしろ「枕草子=定子(敗者)のための鎮魂の書」と捉えるべきで、「源氏物語」は傲慢な道長の余裕と考えるべきと思う。「院政」の問題は人間のドロドロした怨念を感じさせ、保元・平治の乱の起因を明確化している。武士の登場に関連して、現在の非武装中立論を批判しているが、100%賛成である。阪神大震災の際、村山首相が自衛隊投入を即決していれば、被害は数分の一になったと言うのが定説である。平和(軍隊)論に関しては私もほぼ同意見なのだが、無理にケガレと連動させる必然性はないように思えた。それにしても「令外の官」、「北面の武士」とは懐かしい言葉だ。平清盛論は平凡。
歴史のエア・ポケットのような平安時代に焦点を当てて、現代の日本の諸問題にも通じる論を数多く披瀝したシリーズでも出色の出来の作品。
やはり御霊信仰に絡む話がイザワ節の真骨頂か?
逆説シリーズの2・3と読んで、私にとってこれがイザワ本3冊目。ポテチについ手が伸びるみたいな状態で、今夏はこのシリーズとお付き合いかな、と半ば覚悟し始めている。
ただ日本史再構築の大事業を週刊誌連載で行うというキツサからか(当然ですね…)、ここへ来て少々息切れも感じる。すでに他のレビューで指摘のある通り、話が憲法9条問題に絡んだ平和主義批判などに度々「脱線」したり、持説の能書きばかり目立ったり。
とは言え、この停滞感には事情もあると思う。一貫して「宗教的要素の重視」を訴えてきた著者だが、古代から中世へと時代が進むにつれて、その力点に変更がある。これまでは御霊信仰を柱に怨霊や鎮魂の視点から歴史を見直してきたのだが、武士の登場を境にして焦点がケガレに移っている。ここで手間どっている印象。
大伴黒主の正体はともかく六歌仙についての考察には説得力があったし、『源氏物語』がなぜ「源」氏の物語なのかという指摘にもハッとさせられた。つまり御霊信仰絡みの議論には相変わらずの冴えが感じられる。他方、武士の登場以降の記述はケガレ論を調味料にして従来の研究成果をなぞっているだけのように思える。やっぱりイザワ節の真骨頂は、怨霊・鎮魂話なのかなァ…
という疑問も感じつつも、第5巻「中世動乱編」に突入するのココロだ!
