女たちは二度遊ぶ (角川文庫)

レビュー

不可解さと余韻

急展開で終る各物語の感想は 
意味不明・でも分かる気がする
といった漠然としたものです。
その不可解さと余韻が感じられる面白い作品でした。
しっかり読めば話のオチにも納得がいくのかもしれませんが
さらっと読んで「は?意味不明。でもなんとなくいいなぁ・わかるなぁ」なんて
読み方もありかもしれません。

それにしてもCMの女はいいですね。
「まるで出会わなかったような出会いだったからこそ、何年も経ってから
 とつぜん懐かしく思い出すこともあるのだ。」
このフレーズが印象に残ります。
刹那の出会いが好きな私にとってはいい名言を得たなと思いました。

男女のビミョーなニュアンスを表現したアフォリズム

 11人の男がそれぞれが付き合った11人の女の思い出を語る短編集。「十一人目の女」という作品をあえて十番目に置いたのも洒落てる。それにしても、この、男女にまつわるエピソードのヴァリエーション、リアリティはさすが。枚数も少ないし、軽く読み飛ばせる気楽さもあるんだけど、コンセプチュアルな長編よりも、こういった短編のほうが著者のエッセンスが無防備な形で表出している気がする。
 それにしても、著者の観察眼、感じ方、表現は「現代」とずれていない。意外なことに、小説家で「現代」とずれていない人って稀少だと思う。今回、特に印象に残ったのは男女間のビミョーなニュアンスを表現した数々のアフォリズム。
 「頭では来るはずがないと分かっているのに、心では来ないはずがないと思っているのだ」
 「住みたいところじゃなくて、みんな、住めるところに住んでるんだよねぇ」
 「好きでなかったわけではない。ただ、好きだったわけでもない。きっとこれから好きになれると、そう思っていたのは間違いない」
 「恋愛でもなんでもそうだが、沈黙に耐え切れなくなるのは、必ず優位な立場にいるほうだ」
 こうしたフレーズが象徴するように、どの作品もわりと輪郭がはっきりしていて、シーンや言葉が印象に残る。一番面白かったのは「明るいオーラ」と「暗いオーラ」に関する考察で、これはフムフムと思った。気になる人は是非ご一読を!

吉田修一は、短編集も悪くない。

男性視点で過去に「擦れ違った」さまざまな女を描いた作品。11の短編で11人の女たちが登場する。炊事、洗濯、掃除はおろか、腹が減ってもコンビニ弁当すら買いに行こうともしない女が男の家にいついた「どしゃぶりの女」。新宿の公衆電話で電話待ちをしている時に会話を盗み聞きしてしまった女を勤め先で見つけてしまった「公衆電話の女」…。

淡々としていて「いい女」は一人も出てこないが、どの女も、どの挿話も、リアリティーがあまりにも強すぎる。バーで出会った自堕落な女、別れの言葉を一言も残さずいなくなってしまう下町の女、駅で出会った美形の女、些細なことでも泣きべそばかりかいている女…、本当にさまざまな女が登場し、男であれば誰もがそんな女の記憶をもっている。

どの短編にも小気味のよい「落ち」があり、女は不可解さを残し去っていく。女性から見れば軽薄でつまらない話しばかりなのかもしれないが、男にとっては、その「余韻」が何ともいえない。男には理屈がなくて、映像の残影だけがあるのだから。

これまで吉田修一の長編しか読んだことがなかったが、短編もなかなか悪くない。切れ味は、もしかしたら長編よりも上かもしれない。