もの食う人びと (角川文庫)

レビュー

ありがとうございます

 この本を描いて下さって、本当にありがとうございます。そう言いたい。

 まず知ること、それが共感の第一歩だ。
この本がなければ、チェルノブイリの老婆も、枯れ枝少女も、知ることがなかった。

 人は生きている限りものを食う。
富む人も、貧する人も、健やかな人も、病める人も。
その共通点がある限り、人は人に寄り添えるのではないだろうか。

 この本を読んだからと言って、何ができる訳ではない。
現場にも行けない私が、軽々しく何かを言っていい問題ではない。
でも知らないよりずっといい。知らないでいいことなんか何もない。
同じ星という場所を共有しているのだから。

 食事は残すな、味に文句を言うな、と教えられて育った。当然だ。
戦中戦後の食糧難を経験した祖母は、食べ物だけは惜しみなく他人に与えた。
軍隊生活を送った祖父は、食べ物はなんでも惜しみ、隠しておこうとした。
どちらも私に、食べ物とは何か、を考えさせた。

 共感だとか募金だとかの言葉に「偽善」と噛み付く人がいる。
ただ、明日は我が身との思いだけなのだが。情けは他人の為ではなく、自分の為だ。
 恵まれているから甘いことが言えるんだ、とも言われる。
確かに恵まれている。今日も食べられるのだから。

読み手の検証力が問われる本です。

最初の一回は感動しますね。それは解ります。
でも2回、3回と繰り返して読むと、この本の疑問点がボロボロでます。
・旅行ルートが謎。
・通訳とカメラマンが居たはずなのに、独りで旅したように書いてる。
・写真が全部、ヤラセっぽい。(特に韓国編。あの構図はありえない)。

豊穣なる蛇足

 一度読んで読んでみたほうがいいと本書を薦められることは多かったが、どうしても気が進まないでいた。
それは、紹介文がどうしても気にいらなかったからだ。例えば、裏表紙の一文。

「飽食の国に苛立ち、異境へと旅立った著者は、紛争と飢餓線上の風景に入り込み
、ダッカの残飯からチェルノブイリの放射能汚染スープまで、食って、食って、食いまくる」

 正直、うんざりした。「飽食の国」から「飢餓線上」へ。そして「残飯」を食べる。
ここからは、凡百のバックパッカーが帰国後得意げに吹聴しそうな紋切型なストーリが透けて見えた。
そして、飽食日本を糾弾し、世界の人民に思いをはせることを主張する、そんな単純な結論を予想していた。

 だが、実際本書を手に取ると、そのような鼻につく箇所も一部にはあるのはあるのだが、それ以上に多くの蛇足に溢れていた。

 チェルノブイリ原発を前にして、
「女性ガイドのイネッサは私事ばかり言う。何度もここに外国人を連れてきているからもう飽き飽きしている
『夫は私より十五も年上なのよね』」(P262)
 前ポーランド大統領へのインタビューで、
「『ただ・・・私は私の罪・・・弱さというものを君に打ち明けなくてはならんのだ』太い茶糸のネクタイをいじり、もじもじしている。
何を言い出すのか。私は構えた。
『テレビを見ながらだね、ワッフルであるとか、その、お菓子をだね、食べるようになってしまった』」(P122)

 一面的な答えがでそうな社会問題でも、
そこに多くの人々がいれば、多くの考え方がある。
ノンフィクションとしては、まとまりの悪いものではあるかもしれないけれど、
こんな私たちが期待していないような反応に本書の真骨頂がある。
 そんな声を聞くことで、世界の飢餓や紛争の現場も私たちの生きる「世間」の一つであることを実感する。

 「飽食の国日本」で、「飢餓問題に怒りややましさ」を「当たり前」に感じることに抵抗を持つ人びとこそ、ぜひ読んで欲しい。 

☆3つの理由

「飽食」という言葉が最近聞かなくなったように感じますが、
この本が出版されたのは、まさに「飽食」が悪となっていたそんな時期です。

アジアから入り、ヨーロッパ、アフリカ、ロシア、東アジアと各国を見て周り、
その地域の食と、食にまつわるエピソードを交えた本のつくりは
読者を飽きさせることがありません。どの話も衝撃的かつ心の深奥に響くものがありました。

ドキュメンタリーのレポのような形式であり、生々しい雰囲気が醸しだされています。
旧日本兵の食人の話やロシア軍の兵隊内でのいじめ、アフリカのある国のエイズの実態は
身につまされる話ばかりでした。

しかしこの本のレビューには☆3つにしました。
それは著者のスタンスに賛同できかねる部分が多数あったからです。

バブルがはじけて少し経っている時期ですが、まだその余韻があることがよくわかります。
日本人の立場を最大限に利用して、時にはおこがましい記述がみられます。

「郷に入れば郷に従え」的なリポートではなく、あくまでも日本人としての立場であり、
「郷に入るが郷に従わない」立ち位置のように思えてならなかったのです。

著書が少し歳をいっているからなのか、それとも当時の日本的考え方なのか、
何か他人行儀で最初から考えが固まっている中での作品、という印象が拭いきれませんでした。

他のレビュアーさんが書かれている通り、内容は大変素晴らしいと思います。
ただ、これを今見て何を思うかは人それぞれでしょう。
☆3つの理由、おこがましいことは承知ですが、一昔前の本と私が感じたためです。

ほうしょく、と呟いて

冒頭にこんな一文がある。

=食べ残すということが罪であるとしたら、
この子達(バングラディシュで残飯を食らう子供)がその罪をあがなっているのだった=

飽食の時代に生きる人間なら、子供時代に一度は、
世界には飢えた人がいるのだから、食べ物を粗末にしてはいけない
残してはいけない、と諭された経験があるはずだ。
しかし少し成長すれば、私達が今日のランチを残そうが、平らげようが
飢えた子供の腹を満たすことになんらの貢献も出来ない現実に
気付き、時に無感動に食をむさぼり、時に廃棄する飽食の民になる。
飢餓の現場と飽食の私たちの間に走る深遠な亀裂。これは
いかんともしがたい。

しかし、考えてみよう。いつでも食べ物がある私たちは
幸せなのだろうか?飽食は幸福だろうか?
新鮮な野菜の持つ瑞々しさや香りがとうにうしなわれ、
化学調味料で味付けられたコンビニ弁当を食らう日本人は幸せか?
ストレスに圧迫され過食で自我をかろうじて保つ人は幸せか?
生活習慣病が蔓延するこの社会は豊かなのか?
そうではないと思う。
飢餓は間違いなく不幸だが飽食も幸福とは言い難い。
地球上の人間全てが幸せな食生活を送るにはどうしたら良いのか
真の豊かさとは何か考えずにはいられない。