舞姫,うたかたの記―他3篇    岩波文庫 緑 6-0

レビュー

ドイツでの話し

ドイツでの話し。
恋愛物語。
こんな昔に、ヨーロッパでロマンスがあったなんて。
英語のタイトル ”The Dancing Girl" は、舞姫と合っているかどうかはよくわかりません。

NHKテレビ Jブンガクで紹介がありました。

ロマンティックで切なくて・・・・。

新しい大型書店ができて、その中にある喫茶店で暇つぶしにでも
と20何年かぶりかで「舞姫・うたかたの記」の文庫本を購入した。
格調高い日本語とロマンテックなストーリー、読みやすくなった文章
でおなかが一杯、押入れにしまっておいた宝物を発見した様な気持になった。
「舞姫・うたかたの記」と最初に出会ったのは、中1の頃で土曜日の
午後1時ごろから2時間にわたって放送されていた森鴎外を主人公
にしたドラマだった。
そのドラマ内の劇中劇で「舞姫」を観たのだが、何とも切なくやりきれない
ストーリーで最後のシーンで哀れなエリスの姿が今でも焼き付いている。
その、モデルとなったドイツ人女性とのエピソードもドラマで描かれていて
興味深い内容だった。
中1の頃は気がつかなかったが、改めて「舞姫・うたかたの記」を読んでみて
疑問がわいてきた、何故西洋が舞台なのにあえて古めかしい文語体を使用したのか?
これはあくまでも私の想像だが、エリスのモデルになったドイツ人女性が森鴎外の
後を追いかけて来日してきてしまった、これは当時の日本では大スキャンダルに
なったと思う。
そこで、口語体だとあまりに生生しく自らの女性関係などを詮索される恐れがある
為にあくまでもフィクションだという事を強調、というわけなのだろう。
(新聞など派手な浮世絵で面白可笑しく描かれたと思う・・・・。)


最後に・・・5作品すべてドラマ化希望、アニメ・マンガでも良し。
      難解だからと無視するのはもったいない・・・・・。

国語の時間

 私は舞姫を高校の国語の授業で始めて読んだ。舞姫を読むと非常に興奮した口調で豊太郎とエリスとの交歓を音読していた国語教師を今でも思い出す。私は高校時代、舞姫を西洋化による自我や国家に対する使命感について考える教材ではなく、明治の堂々たるラブロマンスのとして読んでいた。そう読めるだけの面白みがこの本にはあると思う。

ついつい現実のお話と重ねられるが・・・でもやはり

舞姫は言うまでも無く物議をかもした作品です。発表当時においても、そして現在でも。そこに思うのは鴎外自身でさえ、あえてか、無意識にか、
太田豊太郎の存在を押し殺していること。
当時の「舞姫論争」でもなぜここまでと言うくらいエリスに肩入れし、豊太郎を無残にも捨てている。なぜ?
私は高校の教科書で読み、再度大学生で読み返しました。何十回も。
これは悲恋物語でも、嫌いな言葉ですが「近代的自我」の相克でもないと思う。
本来主人公が負わなくても良い責任を負ってしまい、そして国家とエリスのどちらの責任を負わなくてはいけないか?を選択できずに終ってしまったものだと思う。
国家への責任の影には母(まさか峰という名前じゃないと思うが)ある。
そしてその母が亡くなった時、彼はエリスと最後の一線を踏み越えてしまう。
どちらも自分の意思はないと思える状況だった。そしてそこで、責任を負ってしまうはめになってしまう。
そして、彼は結局どちらの責任も負えなかった。国家の責任を負ったように見えるが、最終では実際に意識が無い状態で、
エリスの責任は取れずに国家へ傾いた。それは受身でしかない。
鴎外の一生を見ると作品と実生活は別物だという事は充分承知しているが、それでも、ずっと受身の責任を取り続けた人生のように思える。
そして最後には全てが崩壊した状態になってしまう。鴎外の子供達が残した文章を読めば、
鴎外亡き後のしげ子夫人の生活や子供達の生活がどれほどに変わったかが分かるだろう。
鴎外は責任をとろうと努力し続けたが、結局はそれは鴎外一人の空回りだった。
だからこそ鴎外ファンの私としては、鴎外自身の生き方が参考になり、鴎外に心魅かれるのだが。

辛い服の女性 イイダ

 「舞姫」は有名すぎるのに、内容が過激であり、現代でもいろいろと取りざたされるのもわかる。それを見越している作者がいるのかもしれないけど。この作品のテーマは「近代的自我の覚醒」とされている。しかし目標を見失って陋巷の踊り子に溺れていく様はむしろ自我の崩壊、溶解とみなすこともできる、という意見の鴎外論がありとても興味深く思われた。 
 この本の中で私は「舞姫」より典雅な「文づかい」を好んでいる。自らの意志で結婚を拒否し、宮女となって過ごす貴族の姫君イイダの物語が日本人士官小林を通して語られる。いいなずけにどうしても心がそわない理由をイイダは「恋ふへにこそ恋ゆるとこそきけ。きらふもまたさなり」とかたる。そして、実はモデルがいたにせよ、イイダとはどことなく森深い中世のおとぎ話の主人公のような名ながら、いつも自分の好みの黒い服を着る。現代の若い人が自分で選んで「辛い服」をきるように。そしてとくに鳴り物がなくてもイイダは里見美禰子よりも実は新しい女性といえる。「近代的自我の覚醒」のテーマは「舞姫」の過激さ、きわどさによらなくても若い女の心とスタイルに添うソフトな形で主張されている。また彼女の顔はいつもは「みばえせざりし」が「墓上の石像に似たり」と見えることもあった。この小説は意志をつらぬく激しさが基調だが静かで安定しているように思う。